| ■官 |
| 作中の記名 | 謀反前の官位 | 謀反後の官位 | 出身 | 身体的特徴 | 主な出典 |
| 阿選 あせん |
禁軍右軍将軍 | 十五で入軍、十八で軍学へ、兵卒兼大学へ進学、二十六で卒業して旅帥となる。五年で師帥、三年で禁軍中軍将軍。既刊までの情報へ | 三60 |
||
| 案作 あんさく |
冢宰補→冢宰 | 張運の子飼い。 | 二302・四162・307 |
||
| 烏衡 うこう |
禁軍中軍→右軍卒長 | 残酷で卑劣。赭甲を率い、驍宗を襲い函養山に閉じ込める。津梁の軍の所属。 | 三136・323・344 |
||
| 英章 えいしょう |
禁軍中軍将軍 | 文州へ先陣として派遣され、阿選の謀反を聞き下野。驍宗曰く「癖がある」。嫌う者も多いが慕う者も多い。既刊までの情報へ | 一58・二78 |
||
| 詠仲 えいちゅう |
冢宰 | ★ | 鳴蝕の際の怪我が元で死亡。既刊までの情報へ | 一278 |
|
| 泓宏 おうこう |
瑞州師中軍師帥 | 承州 | 李斎の麾下。承州時代から李斎に従う。 | 三306 |
|
| 崖刮 がいかつ |
瑞州師左軍師帥 | 霜元の麾下。高卓までの修行道を越えて逃亡する。 | 三304 |
||
| 皆白 かいはく |
天官長太宰 | 鳴蝕で行方知れずになる。既刊までの情報へ | 一278 |
||
| 花影 かえい |
秋官長 | 王宮を脱出、行方不明。既刊までの情報へ | 一278 |
||
| 嘉磬 かけい |
天官小宰 | 無位無官→瑞州州宰 | 皆白の右腕。初老。 | 二309・四79 |
|
| 哥錫 かしゃく |
地官長大司徒 | 二296 |
|||
| 臥信 がしん |
阿選の謀反の知らせにより下野。驍宗曰く「大らか」。驍宗の従者として昇山した。既刊までの情報へ | 二77・252 |
|||
| 巌趙 がんちょう |
禁軍左軍将軍 | (蟄居→)大僕 | 驍宗の麾下。阿選謀反時、鴻基に残る。驍宗曰く「豪放磊落」。驍宗の従者として蓬山した。既刊までの情報へ | 一173・175・二77・252・三273 |
|
| 帰泉 きせん |
旅帥 | 阿選の麾下。品堅の部下。愚直で不器用と評される。 | 一305~・三279 |
||
| 橋松 きょうしょう |
秋官長大司冦 | 二185 |
|||
| 驍宗 ぎょうそう |
泰王 | 二十四で大学を卒業、旅帥となり二年で師帥、三年で瑞州師中軍将軍となる。既刊までの情報へ | 三60 |
||
| 基寮 きりょう |
文州師将軍 | もと禁軍中軍師帥から、文州師将軍に任ぜられる。 | 一142 |
||
| 癸魯 きろ |
瑞州師左軍旅帥 | 霜元の麾下。 | 三303 |
||
| 恵棟 けいとう |
瑞州州宰→文州侯 | 阿選の麾下。元は阿選の幕僚。帰還した泰麒によって州宰に任じられる。 | 二41・165・300・四75 |
||
| 懸珠 けんしゅ |
春官長大宗伯 | 二184 |
|||
| 弦雄 げんゆう |
禁軍右軍師帥 | 四110・152 |
|||
| 浩歌 こうか |
瑞州師左軍師帥 | 霜元の側近。 | 三310・四242 |
||
| 剛平 ごうへい |
禁軍中軍師帥 | 轍囲の事件時に卒長。 | 一150 |
||
| 光祐 こうゆう |
李斎の麾下。 | 四129・410 |
|||
| 蒿里 こうり |
泰麒 | 泰麒 | 七年ぶりに蓬萊より帰還する。既刊までの情報へ | ||
| 項梁 こうりょう |
禁軍中軍師帥 | 泰麒の大僕 | 痩せた長躯、人当たりの柔らかい雰囲気。鉄笛・飛刀など暗器の遣い手。氏(?)は楚そ。 | 一17・51・二311 |
|
| 午月 ごげつ |
阿選軍の旅帥 | 王の小臣→瑞州師 | 五年前に小臣になる。阿選の麾下。元は成行の元で旅帥を務める。 | 一301・二210・314 |
|
| 杉登 さんとう |
禁軍左軍師帥 | 驍宗登極前は驍宗軍師帥。巌趙の麾下。阿選謀反後は品堅の配下。 | 一175 |
||
| 士真 ししん |
禁軍右軍旅帥 | 四107 |
|||
| 士遜 しそん |
瑞州州宰→(罷免)→内宰 | 張運の手下。上目遣いに人を見る貧相な男。 | 二155~・300・三77 |
||
| 叔容 しゅくよう |
阿選の軍司 | 夏官長大司馬 | 阿選の麾下。恵棟の上司。 | 二165 |
|
| 潤達 じゅんたつ |
医匠→瑞州の官 | 徳裕を助けるために文遠が手配した。 | 二154・三79 |
||
| 証博 しょうはく |
瑞州師右軍師帥 | ★ | 静之の上官。陽気で侠気のある好人物。文州で離散して逃げたが、轍囲の戦闘で死ぬ。 | 二253 |
|
| 浹和 しょうわ |
瑞州天官典婦功 | 女御 | 年の頃四十程度の、ふっくらとした頬の温厚そうな女。泰麒の世話をする。立昌の間者。 | 一272・275 |
|
| 津梁 しんりょう |
凱州師将軍→王師 | 一303 |
|||
| 成行 せいこう |
禁軍左軍将軍 | 一178 |
|||
| 静之 せいし |
瑞州師右軍旅帥 | 年の頃は二十代の終わり。臥信の従者として蓬山に昇山した。文州で離散し、轍囲での戦闘のあと、習行に拾われる。 | 二251 |
||
| 正頼 せいらい |
瑞州令尹・傅相 | 国帑を隠蔽し、阿選に幽閉される。既刊までの情報へ | 一178 |
||
| 宣角 せんかく |
地官長 | ★ | 阿選によって処刑された。既刊までの情報へ | 一278 |
|
| 宣施 せんし |
禁軍右軍旅帥 | 友尚の麾下 | 四347 |
||
| 霜元 そうげん |
瑞州師左軍将軍 | 文州の乱時、驍宗とともに出陣。阿選の謀反の知らせにより下野。驍宗曰く「真面目で品が良い」。既刊までの情報へ | 一161・二77 |
||
| 潭翠 たんすい |
泰麒の大僕 | 芭墨が出奔した際同行し、行方知れず。既刊までの情報へ | 二39 |
||
| 張運 ちょううん |
春官長大宗伯 | 冢宰 | 驕王時代は小宗伯。儀礼に関しては並ぶ者がないほど詳しいと言われていた。如才ない能吏との評。既刊までの情報へ | 一177・二12 |
|
| 長天 ちょうてん |
禁軍右軍旅帥 | 友尚の麾下 | 四69 |
||
| 彤矢 とうし |
四124 |
||||
| 徳裕 とくゆう |
医官 | 実直そうな医官。いつのまにか病んで姿を消す。 | 二40・三19 |
||
| 敦厚 とんこう |
文州司空大夫 | 年の頃六十がらみの押し出しの良い男。工匠上がりの文州冬官長。驕王以前より冬官にいる。 | 三249 |
||
| 芭墨 はぼく |
夏官長大司馬 | 驍宗の古参の麾下。王宮を脱出したが、委州で処刑されたとの噂。既刊までの情報へ | 一173・176 |
||
| 品堅 ひんけん |
禁軍右軍師帥 | 文州の乱時、驍宗に率いられて出陣する。驕王の時代は他の将軍に仕えていた。堅実で実直。 | 一172・306・二308 |
||
| 伏勝 ふくしょう |
阿選軍の旅帥 | 瑞州司士 | 黄袍館の警備をすることになった駹淑の上官。 | 二209・214 |
|
| 文遠 ぶんえん |
黄医 | 黄医 | 驕王の時代からの黄医。老人。泰麒帰還の後、病んで行方不明になる。 | 二35 |
|
| 平仲 へいちゅう |
司声→天官寺人→保衡 | 初老の小柄な男。泰麒帰還後、初めに身の回りの世話をしたが、病んで六寝に移る。 | 一260・二325・三19 |
||
| 駹淑 ぼうしゅく |
王の小臣→瑞州師 | 凱州 | 年若く、どこか幼さを感じさせる顔。裕福な官吏の家出身、軍学に進む。津梁が王師に編入される際に、凱州師の卒長から小臣になる。 | 一301~・二209・212 |
|
| 耶利 やり |
私兵→泰麒の大僕 | 黄朱 | 双刀を佩びた少女。 | 一298・二321 |
|
| 友尚 ゆうしょう |
禁軍右軍将軍 | 阿選の麾下。恵棟の軍に入ったころからの朋友。散らかし癖がある。 | 二167 |
||
| 俐珪 りけい |
禁軍中軍師帥 | 禁軍中軍師帥の中で最も年若い。基寮が文州師へ異動した際に、旅帥から抜擢される。 | 一142 |
||
| 李斎 りさい |
瑞州師中軍将軍 | 謀反として国を追われ、片腕を亡くす。既刊までの情報へ | |||
| 立昌 りっしょう |
春官長の府吏 | 天官長太宰 | 五十がらみ、険のある風貌。 | 一278・282・287 |
|
| 琅燦 ろうさん |
冬官長大司空 | 太師 | 黄朱 | 既刊までの情報へ | 二53 |
| ■道士・僧侶等 |
| 作中の記名 | 謀反前の所在・所属・身分 | 謀反後の所在・所属・身分 | 出身・出自 | 身体的特徴 | 主な出典 |
| 淵澄 えんちょう |
瑞雲観の監院 | 老人。瑞雲観で生き残った六人の監院の筆頭。 | 一77~ |
||
| 喜溢 きいつ |
浮丘院の都講 | 一323 |
|||
| 去思 きょし |
瑞雲観・得之院とくしいんの道士 | 江・東架 | 江州 | 入山したばかりの十六歳で瑞雲観が焼き討ちに合う。東架の里で項梁、李斎、泰麒と出会い、その後旅路を共にする。 | 一52・66~ |
| 空正 くうしょう |
檀法寺の僧侶 | 厳つい風貌。 | 三339・341 |
||
| 習行 しゅうこう |
琳宇の神農 | 痩せた年嵩の男。 | 二247 |
||
| 如翰 じょかん |
浮丘院の監院 | 一326 |
|||
| 菁華 せいか |
文州師 | 文州征伐の時逃げてきた女兵卒。老安に匿われていた。 | 二403・406 |
||
| 清玄 せいげん |
瑞雲観系の道士 | 高卓で主座の道範に付き従う。 | 三339 |
||
| 世明 せいめい |
瑞雲観・得之院とくしいんの監院 | ★ | 瑞雲観が焼き討ちに合い、東架の里へ逃げ出すが、王師の詮議を受けて犠牲になる。 | 一69~ |
|
| 梳道 そどう |
琳宇・石林観の道士 | 褐色の道服を着た若い道士。李斎らを高卓まで案内する。 | 二379・381・三289 |
||
| 短章 たんしょう |
神農站の宰領 | 江州恬県付近の神農站を取り仕切る宰領。 | 一127 |
||
| 道範 どうはん |
高卓戒壇の主座 | 枯れた風貌の老人。高卓で霜元を匿う。 | 三339~ |
||
| 鄷
都 ほうと |
神農 | 神農 | 委州南嶺郷 | 年のころ三十代の半ば。小男。馬州から文州にかけてを廻る神農。 | 一115~・128 |
| 沐雨 もくう |
石林観の首座 | 小さな老女。元は朱旌の舞妓。 | 二371・三84・105 |
||
| 余沢 よたく |
琳宇の神農 | 中背の若者。習行の徒弟。 | 二247 |
| ■土匪・民 |
| 作中の記名 | 謀反前の所在・所属・身分 | 謀反後の所属・身分 | 出身・出自 | 身体的特徴 | 主な出典 |
| 園糸 えんし |
承州 | 二十代半ばの女。栗の母。十八で隣里に嫁ぎ、三年前に焼け出されて長女と栗を連れて逃げ出すが、流浪のうちに長女を亡くす。 | 一12~ |
||
| 回生 かいせい |
老安で、武将を世話していた十二、三の少年。回生の字は武将がつけた。 | 二411~ |
|||
| 朽桟 きゅうさん |
岨康の土匪 | 文州南部 | ひときわ大柄で屈強な男。十三で浮民に、十六で土匪になる。 | 二92~・110 |
|
| 翕如 きゅうじょ |
斂足の手下。朽桟の兄貴分。 | 二114 |
|||
| 彦衛 げんえい |
土匪の連れ去りで母親を亡くした男。 | 三150 |
|||
| 建中 けんちゅう |
琳宇の差配 | 轍囲 | 無口で威圧感のある屈強そうな男。琳宇で坑夫を纏める差配をしている。 | 一343 |
|
| 洽平 こうへい |
馬州宜興 | (身分等不詳) | 氏(?)は草そう。正頼に国帑を託される。 | 三201 |
|
| 此勇 しゆう |
土匪 | 朽桟が息子同然に育てていた子。 | 四291 |
||
| 春水 しゅんすい |
白幟 | 龍渓 | 李斎が岨康で出会った、三十過ぎの女。女児あり。 | 二80・三109 |
|
| 詳悉 しょうしつ |
文州師士 | 豊沢に配属されていた師士だったが、赴家の関係者として琳宇に住んでいる。 | 三146 |
||
| 杵臼 しょきゅう |
岨康の土匪 | 朽桟の部下。気弱だが快活な初老の男。 | 二266 |
||
| 赤比 せきひ |
岨康の土匪 | 朽桟の右腕。 | 二266 |
||
| 夕麗 せきれい |
禁軍中軍卒長 | 武人風の若い女。離散後は葆葉の元にいる。 | 三262 |
||
| 端直 たんちょく |
白琅に逃げ込んでいた荒民。 | 三146 |
|||
| 定摂 ていせつ |
閭胥 | 彦衛の幼馴染み。両親がおらず、里家で育つ。若くして閭胥になる。 | 三150 |
||
| 仲活 ちゅうかつ |
元は樵夫→坑夫 | 函養山の土匪 | 朽桟の配下。片足の曲がった老人。 | 二267・272 |
|
| 同仁 どうじん |
東架の里宰 | 痩せた壮年の男。善良を絵に描いたような風采。 | 一77 |
||
| 博牛 はくぎゅう |
屈強で見上げるような巨躯。初老に差しかかった頃合い、白髪交じりの灰色の髪、左頬から口元にかけて、大きな古傷がある。牙門観に保護されていた侠客のまとめ役。 | 三151・四86 |
|||
| 茂休 ぼうきゅう |
老安の里宰補 | 年嵩の男。 | 二389 |
||
| 方順 ほうじゅん |
土匪 | 朽桟が息子同然に育てていた子。 | 四291 |
||
| 葆葉 ほよう |
白琅の豪商。赴家の女主人。五十がらみ、色白でふっくらとした慈母を体現したかのような女。牙門観に住む。 | 二332・343 |
|||
| 栗 りつ |
承州 | 園糸の第二子男児。三歳ほど。 | 一12~ |
||
| 斂足 れんそく |
土匪の首領 | 朽桟が若いころにいた山の首領。 | 二112 |