▼年表

  各国をいくつかに分けて作成しています。
  『黄昏』時の、慶国歴で赤楽3年を現在とし、数字はそこから遡る「〜年前」の形で示しています。


■慶・戴

年前
現在 赤楽3 弘始8 初秋 泰麒蓬莱より帰還
1 赤楽2 2月 和州の乱 弘始7
2  
赤楽元
予青7
10月
8月
7月
3月
即位式
陽子登極
陽子、舒栄を討つ
陽子、蓬莱より流される
弘始6
3 予青6 5月 予王舒覚、崩御 弘始5
4 予青5 弘始4
5 予青4 弘始3
6 予青3 弘始2 3月 文州の乱―驍宗、泰麒ともに行方不明に
7 予青2 弘始元
和元32

1月
驍宗登極
泰麒蓬莱より帰還
8 予青元 舒覚登極 和元31
9 景麒、王を探して蓬山を降りる 和元30
17 和元22  
1月
泰麒、蓬莱に生まれる
蓬山に泰果生るが、蝕あり
驕王崩御
18or19 陽子、蓬莱に生まれる 和元21

―暦について―
この世界は旧暦(太陰暦)です。春分は春の真ん中のことなので2月です。夏至=5月、秋分=8月、冬至=11月になります(泰麒が蓬山に帰ったのが蓬莱では2月戴史では1月になっていることから)。
陽子が登極したのは8月なので、秋分に令巽門から黄海に入り、雲海の下を通って蓬山まで行ったようです。

―陽子と泰麒の年齢差―
泰麒は弘始8年(赤楽3年)の帰還当時に、高校2年生(1年ダブっているので本来は3年生)。流されてから10年後に小学4年の10歳なので、蓬莱で母親の胎内に流れ着いてからほぼすぐに生まれています。なので、泰麒は早生まれです。
陽子は高校2年の直前に十二国に渡り、2年後の赤楽3年夏には大学1年に当たる年になっています。なので、二人は1学年差ということになります。

―泰麒の外見考―
泰麒の外見(成長後)は、「周知の年齢よりも僅かに少い」。前述の通り、泰麒は本来、早生まれの高校3年生なので17歳と半年ほどです。
それよりも少しだけ若い、ということなので、泰麒の見た目年齢は15、16歳くらいだと思われます。大体陽子と同じくらいの年に見えるということだと思います。



■雁

年前/後 元号 六太の年齢 出来事
500頃 景王陽子登極に援助
106 大元元
白雉87
119 乗騎家禽の令
20 白雉元
大化21
33  
元州の乱
2 大化3 15 六太、更夜と元州にて邂逅
0 大化元 13 尚隆登極
-3 10 六太、蓬山を出奔
-9 4 六太、蓬莱に捨てられ、蓬山より迎えがくる
-13 0 延果が蝕により流され、蓬莱にて延麒誕生
-14 延果生る
麒麟が王を見つけられず、三十余年の天寿尽きて登遐
-44以前 梟王崩御

※この暦のみ、尚隆登極の大化元年を基準とし、そこから1年後、2年後、1年前、2年前、と数えています。

―延果が流された時期―
帷湍の言「登極に十四年もかかった」が延果が生った時期からと仮定すると、延果が生った時期と蝕の時期に時差があると考えられます。(泰麒のように、「生る→蝕で流される→生まれる」に時差がほとんどない場合は、登極まで13年なので)。
ということで、上記年表では-13年前の出来事と-14年前の出来事を分けました。



■恭・才・芳

年前
現在
1 祥瓊、恭を脱走 鈴、翠微洞を脱走 永和9 祥瓊、新道から恭へ
4 永和6 健仲韃崩御、祥瓊は新道へ
13 黄姑登極
砥尚崩御
33頃 砥尚登極
34 健仲韃登極
41 采麟孵る
47 祥瓊生まれる
84頃 前峯王登極
91頃 普白38 珠晶登極
101頃 鈴、保州塵県にて梨耀と会い、昇仙
103頃 普白26 珠晶生まれる
105頃 鈴、蓬莱で蝕に会い、慶国に流れつく
110頃 普白18 黄旗揚がる
117頃 普白12 供麒孵る 鈴、蓬莱で生まれる
118頃 普白11 供果生る
先帝崩御

※「〜余年」「〜年ばかり」などゆらぎのある年はすべて「頃」をつけて、「30余年」ならば便宜上30年ぴったりだとみなして記載しています。
※才国の状況は、重版訂正後の情報をもとにしています。(Thanks!)……「実際には二王に仕えた采麟のほうが年長なのだが」→「実際には二王に仕えた采麟なのだが」




■巧・舜・柳

年前
現在 塙果有る??
1 傾国の兆し……
2
9月
塙王崩御
蓬山に塙果生る
塙麟崩御

40頃 現王登極
52 塙王登極
121 現劉王登極
14? 前劉王崩御

―塙果について―
塙麟の崩御が2年前(慶国暦赤楽元年9月)、すぐに塙果は実り、十箇月で孵るはずであるから、本来ならば1年前(慶国暦赤楽2年)の7月にはすでに孵っていなければならない。しかし、それから丸1年経ったはずの赤楽3年の夏、玉葉の言によれば「現在、蓬山には塙果がある」……。すでに丸2年近く、孵らずにいる計算になる……。今のところ謎。



■全体歴



 ※数字は即位年数(およその年数も含む)。
 ※( )数字は王の不在期間。
 ※白抜きグラフは、即位時期不明。達王の即位時期はどのあたりなのかおおよそにも不明。





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